<源重之の詠める歌>
風をいたみ
岩打つ波の
おのれのみ
くだけて物を
思ふころかな
ほほう・・なかなか哲学的な歌でごじゃるな。やるな、源!
いろいろと悩んでおるようじゃのお。
啄木か、太宰か・・百人一首の昔から、悩める者数知れず・・
人間を波に例えて詠んでおる。あまりない例えじゃ。
時には荒々しく、時には穏やかに、
寄せては返す波もまた、人間社会の縮図のようなもの。
風をいたみ・・?世間の風を避けてか?
岩に打ちつける波のなかで、なぜに自分だけ
岩にぶち当たってくだけてしまうのか・・ああ、何て弱い我よ。
友の波は、岩を避けて、うまく浜辺まで到達するのに、
なんで我だけ、砕けてしまうのか?バカバカバカ、と思うのであった。
友がみな 我よりえらく思えてしまった時、
啄木には幸いにも妻がいた。花を買って二人で愛でる余裕もあった。
源重之殿は、如何だったのであろうか?
歌のカンジから推し量れば、オナゴはいなさそうだ。
岩に砕けて、再起不能・・という絶望感が漂う。
この頃は、セラピストなど、心療治療も発達してなかっただろうから、
波を見て悩んでおっても、誰も助けてくれはしない。
自分で立ち上がるしかないのじゃ。おそらく
「生まれてきてごめんなさい」という、辛く重い観念に打ちひしがれて、
そのまま一人で海の中に入って行ってしまったのではないか?
太宰にもまたオナゴがいて、心中というカッコだけは付けることが出来たが、
コ奴は、それさえも儚い人生であったのだろうか?
なんか、本日の我は、なかなかに文学的であるぞ。
つづく