
今年の秋から禁煙を始めた。タバコをやめると太ると言われ、食べることも気にしなければならないことになった。タバコもガマン、ゴハンもガマンの毎日が続いている。遊んでいるときはぜんぜん気にならない睡眠時間だが、仕事で深夜までになると、たまらなく眠くなってしまう。この年齢になるまで、とにかく快楽的な生活をしてきたから、こんなに禁欲的な毎日は苦痛でしかたがない。先日、タバコをスパスパ吸ってしまう夢をみた。夢なのに美味しかった。禁断の林檎を食べてしまったアダムとイヴの気持ちが、ちょっとわかる気がする。

オバマが第44代大統領に選ばれたニュースは、米国の新聞紙をハタハタと翻らせましたが、自国の首相交替をはるかに超える影響力を、この島国の民たちにも与えてしまっていることは、一種の「翻」弄と言っていいかもしれません。
こと、文学にとっても、「翻」訳を視野に入れて作品を書くことが必須の時代になりまして、この秋、海外から招いた19名の詩人と、日本の詩人・歌人・俳人21名が競演する大規模詩祭「東京ポエトリー・フェスティバル」が3日間にわたって開催されました。私は運営に関わりましたが、そこに長短はあるにせよ、翻って、伝わるものは何か、価値あるものは何かを考えていくことが、慢性袋小路に入ってしまった日本語詩の、辛うじての通気孔、読者探しの旅でしょう。

食品のこととか政治のこととか、経済も。生活の根本を疑わざるを得ない状況だったんじゃないかな。でもね、もうひとつ僕の中では情報に対する疑わしさ。よくネットが出来てから情報が氾濫してるとかいうけど、そうじゃなく。どうもなにかが意図を持って情報操作をして世の中を不安と恐怖におとしいれ、霊感商法的に利益を得ようという奴らがいそうな気がしてならぬ。正体の分からぬ巨大な組織からテレビのコメンテーターまで疑惑の目で見ていたほうが良かろうという。そんな感じの一年でした。

世界経済の暗雲を思えば「危」なのか「不」なのか。あるいは「落」とか「下」とか。いずれにしたって縁起のいい文字ではありません。そこで、世界同時の試練、運命共同体といった意味でこの字を選びました。なんの製品も価値も生まないで、お金の数字だけ動かして巨利を得るようなシステムにはブレーキをかけないと。調子に乗りすぎた資本主義って、やっぱり怖い。その反省が世界同時に生まれることを、かすかな希望とします。経済のことは素人でよくわかりませんが。「君と世界が戦うなら、世界に味方せよ」というカフカのことばは場違いでしょうか。キング牧師からオバマ大統領の誕生まで半世紀もたっていないのだから、世界は捨てたもんじゃなく、ちょっとはマシに、理性的になってなってゆくと信じたいです。

世の中はまったく穏やかではなかったこの一年ですが、
僕個人としては、
家族を愛し
音楽を愛し
お酒を愛し
うまいもんを愛し
仕事を愛し
旅を愛し
仲間を愛し
愛に満ち溢れた
LOVE&PEACEな一年でした。
感謝!

自動車のことを雑誌に書いたりしている僕にとって、その眼で2008年を振り返ったとき、頭に浮かぶ漢字。コブクロの同名の曲で「轍さえもない道を、ただ進め」って歌われるように、同じ轍を踏むのはあまり褒められたことではないという時に使う言葉。自動車業界では、不況による販売不振と円高による為替差益の減収とダブルパンチで、ひどい一年に。でもバブルが始まる前も、弾けた後も、メーカーはそれなりに元気にやっていた。いまの問題はどこも大きくなりすぎたということ。なので同じ轍を踏まないために、企業のダウンサイジングが必要なのだろうか。
そんなことを考えさせられた年の1字としてこの漢字。で、全然関係ないのですが、2008年に出合った印象的な食べ物は、赤坂「エム ワンカフェデリカテッセン」の300グラムの肉を使ったビーフパストラミサンドイッチ。テレビチャンピオンの牛肉王が、そのあと食べにきて「日本でいちばんおいしい」と太鼓判を捺したとか。いちど食べてみてください。

尊敬していた、ぜひ地球にいてほしかった友人が突然遠い山の中で命を無くしてしまって困惑。誘惑はあまりされなかったので老いてきたなぁ〜と、まぁ迷惑な事でもあったりするからそれは良しとして……
煩悩を見惑とも言うらしいのですが、私自身は見惑捨て切れず、惑星のようにぐるぐるまわっていたような……です。
誰か惑星深査機で救援して下さいませ!!求ム!!

25年ほど前に発売された『迷走地図』という小説があります。作者は松本清張。上下巻で700 ページ余りの単行本を一気に読了したような気がします。
この「迷走」という言葉は著者の造語ですが、今回のアンケート企画を考えているとき、一番最初に浮かんだ言葉です。2008 年を表わすのが二字で良ければ、迷うことなく「迷走」です。
不惑はかなり昔に通り過ぎたはずなのに……。心が混乱するほど判断力がないとは思えないのに……。右往左往する人が日本中にあふれた一年だった、と思います。考えてもわからないときは、迷ってもしょうがない。わかっているのに、迷って悩んで戸惑って 。さよならだけが人生なのかもしれませんね。
もう一度本を読むか、それとも映画を見るか、と迷っていたら、勝新太郎主演の映画『迷走地図』はDVD が発売されていませんでした。残念。

「空」です。
この「空」には色んな意味があります。「空虚」なことの多い一年でもあり、時折「青空」が見えるかなと思ったこともあり、また、私達の視界には「地上」より「空」のほうが多く見えます。その「空」に、2009 年度への期待もありということで……

本物らしく見せてだます。にせ、うそ。
偽善、偽装、偽造、偽作、偽言 など「偽」で始まる言葉は辞書で52個もある。そんなさまざまな「偽」が日本中を駆け巡った年であった。人災による「偽」は子供たちの給食の卵焼きにまで及んだ。安全といいながら、実は安全ではなかったと回収を繰り返す業界のニュースに慣れっこになり、本物と遠いものばかりに囲まれ、怒りをわすれて、浮かれているとこの国はとんでもない方向へいきそうだ。偽を正すのは倫しかない。2009年は倫の年になることを祈る。それにしても「人の為に」と書いて、「偽」とは皮肉だ。

大学を卒業していろんな人との別れがありました。新社会人として東京に越してきて、いろんな人との出会いがありました。私の人生の中でもとても貴重な一年でした。
でもまだ憧れの芸能人(劇団ひとり)には出会えてません……。

今年監督引退した王選手のこと。僕はファンでもないし野球に興味もない。ただ、王さんについて思い出したことがあった。昔、王さんと長嶋さんとで、正月に「新春ビッグ対談」というのをテレビでやってて父が見ていた。王さんが巨人軍の監督をしていたすごい昔です。長嶋さんは何をやっていたかな。
対談の中身は例によって長嶋さんが一方的にしゃべるわけです。王さんはもっぱら聞き役ね。それでずーっと番組が進んでました。そしたら番組の最後のほうで、長嶋さんが王さんにやっと聞いた。「日本のプロ野球についてどう思いますか?」って。そしたら王監督、待ってましたとばかり、「勝ち負けを気にしすぎます」ときっぱりこたえた。
「勝ち負けよりも、そのプレイの内容です。プロなんですから」と。
「なるほど…」
長嶋さんは感にたえず、うなってましたね。私の父も。
長嶋さんはまた王さんに問うた。「では王監督、今年の巨人軍の目標は」と。そしたら王さんこたえました。
「勝つことです。なんとしても勝つことです。勝つと負けるとでは大違いですから」って。ぼくは耳を疑ったが、長嶋さんも、父も感心してましたね。
さすが王さんだ、って。

破れにします。
米国の証券会社「リーマン・ブラザーズ」が破れ、世界同時株価下落という破れ、ボーダレス社会とは、国の際の破れ公的年金制度の破綻は日本経済の破れ環境破壊という地球の破れノーベル物理学賞の対象となった「対称性の自発的破れ」とはなんと皮肉な!

緒方拳氏71歳、筑紫哲也氏73歳。お二人方とも70代で今年亡くなられた。なにかと若い時分からメディアを通して馴染んでいたお二人が消えてしまったことで、急に私も「七」という数字から自分の残り時間を意識するようになった。"まだまだ"から"もうないよ"に変わったようなものだ。「七」は本来ならばラッキーセブンというくらいだから有難い数字なのだろうが、今の私には〝その先がない〟少し寂しい数字に思える。自分の寿命のギリギリのところにある数字のようにも見える。
しかし、どうなるのかわからん寿命のことをクヨクヨ考えてもしょうがないので、〝世界のナベアツ(渡辺鐘)〟的に残り少ない「七」の倍数の時に、思いっ切り変な顔をするヘンなオジサンにでもなってみるか、とも思っている。ナナーッ!

(みなごろし)
愛し合うことより殺し合うことが自明の理であるかのように、当て処のない消耗戦が続いた一年だったと思います。人と人。街と人。金と人。金と金。金と地球。人と企業。企業と企業。人と国家。あらゆる関係の中で潰し合いの螺旋に飛び込んでしまった日々。そこはもう、縁や絆など端から関係ない。もっと言ってしまえば、そうした所縁がないもの同士が競って屠り合いをしてる感さえある。さて、自分はどうか? もしかしたら、何かを、誰かを、無意識のうちに潰したこともあったのではないか。そんな気がしています。

2008 年の夏、父が77歳で他界しました。
今年の一文字といえばこれしかありません。これほど父のことを好きだったとは僕自身気がついていませんでした。今さらではありますが、父の死は死生観が変わるほどいろんなことを考えさせられ、また教えてくれました。1年前までノホホンと生きてきた自分が恥ずかしいほどです。先日、父が現役当時に勤めていた(株)マツダの同僚の方々9名ほどが実家に集まり、「偲ぶ会」を開いてくれました。「派閥に属さない」「誘いは一切断らない」などなど、知らない父の一面をたくさん聞くことができました。高度成長期に花形産業の一翼を担った方たちの良心や温かさ、気概に触れ、こんな方たちといっしょに仕事ができて「お父さん、良かったじゃないか!」と思わずつぶやきました。

つい最近、所謂「オーラ」が見えるという人から、私のまわりには澄んだ黄色が強く輝いていると突然教えてもらいました。どうやら澄んだ黄色というのは「朗らか」な状態だとか。今年も一年、いろいろな気苦労を重ねた気でいましたが、年の瀬が近づいてきた今、この状態ということは、結果オーライ☆(まだまだ苦労が足りないということかも?)

色々な意味で前世紀が終わったように思います。この間の8年間はまだ前世紀を引きずっていました。もう、前世紀の価値観は通用しない時代になるのかもしれない。来年は次の時代を担う人たちが予想もしないところから出てくるのではないでしょうか。

08年の世界を振り返ると、ガソリンの高騰に続き、未曾有(みぞゆう)の経済危機etc・ほとんど明るい話題がないところへ持ってきて、個人的には、12年間勤めて悪戦苦闘した月刊『PLAYBOY』が、この11月25日発売の09年1月号をもって終刊(週刊ではありません、念のため)になりました。
そんな状況の中で、考えつくのは「廃」「休」「止」「絶」など暗い文字ばかりでしたが、何かちょっとは希望のある文字はないかと考えた結果、この「転」という文字を思いつきました。「ころぶ」という文字ですが、でも、この文字には何かそういう否定的なイメージよりも、「転機」「転身」「転々」とか、前向きで発展的、かつ弾けるイメージがありませんか?
弊誌だけでなく、今年は『論座』、月刊『現代』、『ロードショー』など続々と著名な雑誌が休刊、廃刊となり、出版界は、明らかに構造不況、衰退産業の様相を呈しています。その中で働いている私自身は、映画『フラガール』の蒼井優ちゃんになったような気分でおりますが、この機会を新たな「転機」として、新しい工夫を凝らしていけば、まだまだ出版界でも面白いことができる、と信じています。この『クリネタ』がそうであるように。

中国の毒インゲンにメラミン……オリンピックの開会式の花火はCG映像……世界恐慌という言葉がメディアで毎日報道され、わけのわからない大量殺人事件は起きるし、本当に世の中は乱れに乱れている。そしてTVでも映画でもつまらないものが乱造されているし、もはや「乱世」だ。今年の漢字はこれで決まり!

「だいたいやね、年金の記録が消えてるって、おまえ社会保険庁の役人、ほらいまテレビの前で厚労大臣がけしからん役人の弁明に必死なニュースを見ながら、ワシの年金は大丈夫やでと、ニヤッとしているもと社会保険庁勤務の現年金受給者の君や! 人のは知らんけど自分の記録はちゃんと残してうけとってるやろ。そんな日本でええのか馬鹿もーん。責任をまっとうするから日本人は美しいんや。これね、大きな声では言えんけど、小さな声では聞こえませんが、時代が時代、国が国やったら公開死刑の犯罪やで。税金で給料まかなってもろて楽チンでしたから、さぼってましたって、テレビに出てきて言えませんか。ワシならすぐに言います「ゴメンチャイ」。日本人は謝りすぎるといわれるけど、ほんまに謝らなアカン人は謝りよらん。ほんまの責任者でてこーい!」と、ぼやき漫才の人生幸朗師匠なら言うであろう責任者でてこーい!の「責」。「ほんであんたの年金は大丈夫かいな?」「私は大丈夫。年金をごまかされたり、貰われへんかったりした時の年金危険保険に入ってるから大丈夫やねん」「そんな保険あるわけないやろ!」「しかしまあみなさん聞いてください。わたしがボヤクんやのうて、今の世の中がわたしをボヤかしまんねん」と、幸朗師匠は続けるのでしょうね。
アカンタビリティ、コンプライアンスと表向きはスマートに騒がしいですけど、「責任者でてこーい!」で良いのじゃないでしょうかと思う出来事がいっぱいでしたね。

です。
驚異的な世界恐慌により、売上「減」、収入「減」
日本の総生産も、輸出額も、税収も「減」
年金も、人口も「減」
テレビ局や広告代理店の広告収入も大幅「減」
オリンピックの金メダルも大幅「減」
有能な政治家も「減」
あ〜この国はどうなっちゃうのだろう!個人的なナケナシ資産も、減、減、減!
あ〜もう一文字 「涙」

僕が大量出血によって大きな肉痔核が3つもある事を知ったのは1999年。今年は10年目の記念のストレスがかかっても、絶好調で遊び呆けても、寒くても暑くても、痔は肉体的に問題提起する。肉体による、人生のウォーニングランプである。ひどい時には、内痔がぽっこりと外に出て中に入らない。嵌噸(かんとん)というらしい。ガニ股でソロソロ歩きである。そんな時には、どんな威勢のいい言葉も出てこない。今年の「字」、それは「痔」である。何やら騒がしい年こそ、「痔」なのですなァ。読者諸兄もぜひとも痔になる事をおススメしますゼ。まっ、命にかかわりませんしネ。

そうです。世界が認める源氏物語から千年。黒船以来すっかり海外に目を奪われてしまったこの島国の人々が、ここのところアイデンティティーを取り戻しつつある気がします。ネット社会が世界中に広がったことも影響しているのかな。薬師寺日光月光菩薩、琳派の数々も、日本の根源を確認するよいチャンスだったようです。ま、いろいろ問題はありますがいい国ですよ。オリンピックでは思いのほか活躍が見られなかったけど、スポーツの世界では遼君をはじめ若い人に新しい源泉の気配。四人のノーベル賞も暗い社会への光源になりました。日本人って何だろう?今年はその「源」を良く考えさせられた年でありました。源氏物語千年の偶然に、ありがたや、ありがたや。ちょっと財源資源に不安はありますが…。
さて、足元を見つめスタンスが決まったところでどっちの方向に打って行きますか、ねぇ源さん。

小学館の漢字字典によると①母体内に子が宿ること。また、その子。②胎児を宿す所。とありますが、三つめとして③物事の起こること。きざし。とあります。ぼくのこの字にこめた意図はこの③です。今年の第一の印象はゲリラ豪雨でした。ぼくはこの雨が地球からのメッセージなのではないか、と思いました。何かが変わる、何かを変えなくてはいけない、という、ぼんやりとしたものですが、強いメッセージです。そして程なく訪れた世界経済の大崩壊。ぼくにはこの二つの大きな出来事が深いところでつながっているように思えてならないのです。金がすべて、モノがすべて、ということのひずみが地球環境に対して大きな負荷となっていたのではないか。今までの考え方のままでは人類は立ち行かなくなってきているのではないか。そんなことをみんなが肌で感じたのが今年なのではないでしょうか。これはまったく新しい価値観が生まれる兆しだと思うのです。来年は今年のこの大異変を受けて様々な新しい考え方が生まれてくるような気がします。本当の幸せはどこにあるのか、ということを新たに探り始める元年が来年。そんな期待をこめて今年は「胎」としました。

別に人生に迷っているわけではない。最近、自分が完全に迷子になっていることに気づくことがよくあるのだ。今年はそれが連発する「迷」の年だった。
横浜に住んでいるのだが、昨今の便利な通信、運搬事情のおかげで電話、郵便、宅配便、電子メールを使えばだいたいの用は済んでしまう。細かい打ち合わせが必要な仕事もあることはあるが、ここ15年ほど一緒に仕事をしている人が川崎に住んでいるために、川崎駅周辺のスタバかなんかでほとんどの用事は済ませてきた。たまに必要があって都内に出ることがあって浜松町駅のとなりに文化放送の建物ができているのを「ホホォー!」とおのぼりさんよろしく感心しているうちはまだ良かった。帰りに品川駅で横須賀線に乗り換えようとして面食らった。あるいは久しぶりに渋谷駅で降りたら、完全に「ここはどこ?」の状態になってしまった。なんとか乗ることができた大船行きの湘南新宿ライナーの車窓から見える恵比寿、五反田、大崎あたりの夜景はまったく見知らぬものに見えた。きわめつけは横浜駅で東横線に乗ろうとしたときのことだった。50年近くなじんでいた東横線の改札口が見当たらないのだ!

2008年はファッション誌から和の雑誌に戻り、仕事も生活全般も和趣味に傾いた一年でした。
雑誌名に使われている“和”ですが、和趣味というだけではなく、和(なご)む・和(やわ)らぐなどの意味も込めてネーミングされています。そんな気分とはほど遠い2008年でしたので、2009年はゆったりとした気持ちで過ごせるよう、そしてそんな気分に浸っていただける雑誌をつくれるよう、この一文字に願いを込めたいと思います。
ちなみに弊誌のロゴは、田中一光先生が最後につくられた雑誌ロゴです。是非ご覧いただけると幸いです。

「激」を選んだのは何事においても激しすぎるからです。北京オリンピックも中国の国体のように激しいメダル数を獲得。ガソリンやユーロが激しく上がったと思えば、輸出関連会社を激しく落ち込ませた円高。そして地方(岡山)に居る自分としては全てにおいて激しく一方的な一人勝ちを続ける東京。そこそこやぼちぼちが無く、激ばかりが目立った2008年だったと思います。

なんか脇っぽい年かな
横でもいいかも、膝とか首ほどキーポイントでもないけど控えめながらも癖がある個所(年)ですかね。2008年は……。
頭とか腹とか足とかという年がいずれ来ることでしょう。脇も大切な年です。

いや〜今年も次から次にいろいろな不祥事がでてきましたね〜。誰が怒っているのかは分かりませんが、誰かが怒っています。世界第2位の経済大国になって曲がりなりにも「日本社会は成熟した」、と言われるけれども、成熟の後にやって来たのは腐敗だったんですね。それにしても未熟な成熟でした。こうした社会の一翼を担っていたことを深く反省し、自らを諌めながら、来年は解体前の社会保険庁から年金をも〜らおッ。解体されたら記録も消されてしまいそうだから……。

1月は準備期間。2月の渓流解禁で長野・愛知からスタート。3月は関東近辺でヤマメ。4・5月は福島・宮城の雪の少ない川を巡り、合間に外房でヒラマサをねらう。6〜9月は最盛期、秋田・岩手でイワナプレイ。半日空いた時は西湘サーフでサバやソーダを。10〜12月は伊豆でアオリイカ。合間に外房で再度ヒラマサをねらう。という訳で他のコトまでなかなか手が回りません。2008年に限ったことではないのですが。

春先の値上げラッシュに、リーマンショックに始まる100年に一度とも言われる世界的な金融不安と、暗い深刻な事態が多かったこの1年。米国主義が終焉を迎え、いたるところでパラダイムシフトが起こっているのではないでしょうか。でも、夜明け前は一番闇が深いもの。この時代にこそ、自分が何を欲しているか、どう生きるべきかと、自分を深堀できる人こそ、きたるべき新しい年に大きく飛躍できると思います。

今年ほど物事に関してよく「観」たことは、これまでなかったと思います。中国産ギョーザ問題や汚染米など食に対する不安が増大。MADE IN CHINAの表記がないかどうかをよく「観」ましたね。ねんきん特別便に間違いがないかどうかも目を凝らしてよく「観」て確認しました。なんだかんだ言って、北京オリンピックも結構よく「観」ました。必要以上に対円の韓国ウォン価も、日経新聞でよく「観」ました。「みる」といっても、ただ「見る」のではなくて「観る」ことが必要とされた年だったような気がします。人に頼れない……任せられない……。自分で確かめないことには、自分を守れない社会になっていることに気づいた1年であると同時に、随分寂しい社会になってしまった感じがします。個人的には、仕事もプライベートも充実していたので、言うことはありませんが、その分、無理しすぎて、何度も病院にお世話になった1年となりました。来年は、しっかりと体のことも考えて、自分を「看る」ことも視野に入れて頑張ろうと思います。

【なゆ】と読む。世界同時不況で、夏も冬のように冷え込む景気と人心の表意文字造語。また環境破壊で夏と冬の差が失われつつある日本の四季の象徴でもある。これは「温暖化」という通説と異なり、松井孝典教授の、地球は大局的に氷河期へ向かっている、という真説にも合致する。

今年の私、本当に「運」に恵まれていたんでございます。まず、ある懸賞で『ドレスお仕立券』が当たりました。次に、別の懸賞で『ト○タ ヴィッツ』が当たりました。念のために申し上げますが、私は決して懸賞マニアとかではなく、ほとんど生涯3回目くらいに出した懸賞に2回とも当たってしまったんです!なんという「運」のよさであることよ。でも、そんなところで「運」を使い果たしてしまいたくない!!どっちかっつーと、欲しかったのはドレスもクルマもひっくるめた、男「運」なのに。仕事上かかわりのある、飛行機の「運」ちゃん、つまり「運」航乗務員さん達に振り回された一年でもありました。彼らはいつも空の上にいるせいか、なんかこう……浮世離れしてるんです。16時っつたら16時なんだってば(怒)!!
オーケー(怒×3)!?
あらまあ、ごめんなさい、監視ファイルが恐ろしくてここまでしか書けません(笑)。最後に手前味噌ですが、『クリネタ』の皆さんと知己を得ることができました。うん、やっぱり幸「運」な一年デシタ☆

(たのしむ)
「楽」という文字は「たのしい」と読む。敢えて「らく」とは読まない、ことにする。2008年もたくさん写真を撮った。写真をとることは、やっぱり楽しい。いい写真がとれると、もっと楽しい。でもそれは必ずしも楽(らく)じゃない。

2008年は、いろんなものが我慢の限界を超えて爆発した時代ではないか、と。経済、仕事、恋愛、自然……すべてのものが、なんとか我慢してやりくりしていたのに、大爆発を起こしてしまった。2009年に、果たしてそれを少しでも収拾できるのか、あるいは大爆発になってしまうのか。注視せざるを得ないですねえ。

書に栄えそうな漢字、「亀」です。すでに7匹の亀がいるのですが、新たに最近7匹の亀が生まれました。それも、温室に大切に引き上げた卵からではなくて、ある朝、外で勝手に子亀がヨチヨチ生まれてきたのです。それは、〈ウンキュウ〉なる、少し珍しい亀。(鉄道関係者にとってはイヤな名前でしょうね)ほとんどを里子に出しますが、どの子も末永く元気に育ってほしいものです。この『クリネタ』のように(笑)。

2008年、世界の人々はバベルの塔が音を立てて崩れ落ちたことを目撃した。ウォール街を批判し、世界の経済人たちから異端児扱いされていたプリンストン大学のポール・グルーグマン博士がノーベル経済学賞を受賞、そして、オバマが黒人初の米大統領に。世界の潮流が大きく変わった。美食を貪った揚げ句、ダイエットや医療費にそれ以上のお金をかける愚行はもう終わりにしたい。欲望に蓋をし、身も心も「凛」としなくては。

清水寺の和尚さんは、「輪」とか「壊」とか「差」とかにするんだろうか。この数年と言うかもうかなり前から、とても信じがたいイヤな事件や暗い出来事が次々とありすぎて、いつの事だったか混乱して、頭の整理が追いつかない。マンションにはじまった偽装にしたって、舌の根も乾かぬ内のあの老舗の偽装発覚は、今年だったか?と調べて見ると昨年だった。「え、ここまで!」と大変なショックで、さすがに皆が反省している様に見えたのに。にも関わらず、ハレンチであきれ果てた偽装が、相も変わらず続発している。安倍、福田などの厚顔な政治屋は論外としても、いい大人が平気で嘘をつき、前言を翻したり、その場を取り繕うばかり。自分の言葉や行動に、ここまで無責任で恥知らずになったのは、何故だろう。金第一の風潮や、車中の化粧などなど……あげればキリがない恥知らず。世の中のイヤな出来事は、すべて「恥の欠如」が原因じゃないのか? 日本には、恥の文化があったんじゃないの。自分を含めて、今こそ「恥を知る」ことの意味を、とつくづく思う。

「髪は長〜い友達」という育毛系CMがありましたが、まさしく私めの名前通りでございます。一時は長友家の家訓をCMごときにと思ったことがありましたが、生来の「まぁ良えやないの」精神で今ではことあるごとに、このフレーズを使わせて頂き、名刺に刷り込もうとまで思っておる次第です。

今年は会社を自主定年して「独」立した年でした。一人になって孤「独」を噛みしめて、ああ組織って、なんと頼もしく楽しいモンだったンだろうって……。でもね、世界がグローバル化して、一つにつながってしまったが故に、アッという間に世界恐慌の連鎖の恐怖にさらされてしまうわけで、もう少し単「独」で、それぞれに「独」自であってもいいんじゃないの?とも思うわけで。とはいえ、お隣りの「独」裁国家も困ったもんで……(この号が発売される頃、あの人は、まだ元気なのだろうか?)。

うつろいやすき世の中です。政治、経済、などなど何を信じて良いのやら?マァもっとも地球自体が空中に浮いているのですから。その認識が曖昧になっているんですかネェ。実のない、仮初めの年、来年も続くかも。頭も身体も空っぽにして、もう一度、世の中の様々な要因や条件を再吸収。大乗仏教の教えにある通り永遠不変の固定的実体なんてないんですから。空気をたくさん吸って、空気を読んで行きましょうよ。こんな年こそ、雨でも、曇りでも、晴れでも、空を見上げて行きましょう。日々変転する空を。なんだか坂本九さんの「上を向いて歩こう」みたいになりましたナァ。

「身を削る」「骨身を削る」などでよく遣われる文字ですが、労苦や心痛以外のイメージもあるんです。そこがなかなかよろしい。
友人の新聞記者が王貞治選手に結果として現役最後となった春のキャンプに臨む心境を尋ねたところ、「真新しい鉛筆を慎重に削る作業かな」と述べたそうなんです。そうか、きつくて辛い一年ではあったけれど、「削」には準備やスタートの例えもあるのか、と今更ながら感服の至り。
惰性で生きていれば、2009年を真新しい鉛筆と思えなくなります。辛さがなければ、幸せもなし。そう言えば、「汗の輝きは太陽に等しい、汗の名声に並ぶものなし」と歌い上げるオペラもあったっけ。逆転の発想がますます必要になるなあ、と考えるのであります。

あらあら、すっかり元気なくなっちゃって。歳は取りたくないものねぇ……、なんて言ってあげたくなるこの世の中。人のことは言えませんが。いや、肉体的なことではなく、頭も気持ちも懐具合も、元気無いよなぁって感じることが多い年でした。来年は「クエン酸シルデナフィル(=バイアグラ)的企画」でビジネスに喝だ〜ッ!!


























































































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