小学5年生の時に担任だった図画工作の先生。 私のヘタクソな木版画を絶賛してくれて、すっかりその気になって今の自分がある。 毎日のように先生のご自宅におじゃまして、いろいろな話を聞かせてもらって興奮した。 またお話しをしてみたい。
フェデリコ・フェリーニ氏。
10年くらい前、撮影を終えパリでぶらぶらしていたら明日はパリ祭というのでローマに逃げた。ホテルパラディゾの屋上テラスで(夾竹桃がきれいでした)スプマンテを飲んでいるところ、4人で打ち合わせしているフェリーニ氏と目が合った。にっこりされたので帰りがけにあいさつすると(ボンジョルノ マエストロていど)立ち上がって握手してくださった。向こうの世界で会ったらお話を聞きたいと思う。
まず、不協和音を発しているような人物とは会いたくないですね。生命力、現在性、人間の艶、好奇や色気…貴重なオーラを発している人と会いたい。うーん。そ、そうだ、あのヌーベルバーグの女たちに会おう。フランソワーズ・アルディ、フランソワーズ・アルヌール、フランソワーズ・ドルレアック、あらまなぜか同じフランソワーズ姓の女優たちばかりですが、きょうは、女猫のようにつややかにしなやかにひそやかに濡れて生きるパリの女、フランソワーズ・アルヌールに会おう。そのあどけない顔とは対照的なグラマラスでいいいがしそうな肢体。過去でも彼方でもなくいまをここに生きる女の臨場感。彼女はパリの女猫であると同時に、どこか大和撫子のつつましさと香しさをも秘めている。「和魂洋才エロス大盛り」、そんな美妙な女が僕には最後の女なんですね、きっと。
剣道部の先生
自分の両親は子供には甘い親でした。生まれて初めて「怖い大人」を体験させてくれたのは、中学の剣道部の先生でした。部活では、木刀で殴られたり、蹴られたり、朝4時から練習させられたりした挙句、部は地区大会で一回戦負けを繰り返していました。
今想うに、、教え方が間違っていたんじゃないかと(また、教育論的にはいかがなものかと)思うのですが、実は意外といい思い出だったりします。
ということで、秋元先生。
さて、初恋の人?偉人?スーパースター?などと考えてみたがあまりピンとこない。個人的な思いを巡らせてみた・・・。時々町でハッとするような美しい人に会うことがある経験は皆様お有りだろう。私が二十歳ぐらいであったか、友人を訪ねて京都に行った際、京都大学前の「Cafe 進々堂」で朝食を摂ったことがある。そこに大きなテーブルにヴァージニア・ウルフの分厚い原書を読んで勉強をしていた女子学生に出会った。とはいっても、もちろん口も聞かなかったが・・・何ともかっこよかったのである。ちょっとドキドキしてしまった。美人であったかどうかは忘れたが、私の京都の思い出の一つである。その人、というよりはそんなドキッとするような状況になってみたいのかも知れない。どんなひとだったか、いま会ってみたいひと・・・には違いない。
詩人のアーサー・ビナードさん。
彼の詩もエッセイもすばらしいと思うし、戦時下の金子光晴親子の生活を描いたETV 特集に出演、その感受性とことば(日本語)のしなや かさに参ってしまいました。きな臭いナショナリズムが復活する時代にうんざりしつつ、しかし、こういう知性の存在に希望も感じています。
お知り合いの方がいましたら、ぜひご紹介ください!
長沢節先生。
両親の関係で、私が幼少の頃からよく存じておりますが、 幼心から、近寄りがたいオーラを感じておりました。実際、セツ・モードに入学した時も、やっぱり、同じような印象を持ち続けて、先生を目の前にすると、いつも、緊張してしまいました。でも、時々、耳をギューって、引っ張られて、「おまえ!」って言われるのが、たまらなく嬉しかったのです。もし、夢が叶うならば、もう一度、耳を引っ張られてみたいです。
オーウェン・ウィルソン。
映画の中では目が、目の前にあるものを見ていなくてどこか遠くを見ている印象があるので、実際にあってちゃんと目が合うものか確かめたい。
あと、彼を見ていると絵心がそそられるので、スクリーンを通してではなく生身の姿をしばらく見つめてから絵を描いてみたい.....
いろいろ理由をつけてみたが、要はファンだから会ってみたいだけか?
荒木村重
戦国期城を捨て、ほとんど一人で脱出。おかげで残された一族郎党は信長によって皆殺し。
生き延びた村重は利休七哲の一人として茶人として延命。
この自分勝手さと恥知らずぶりの訳を知りたい。
現代風に言えば究極の実存主義者ともいえる。興味深い人物であるから。
同姓同名の人と会いたい。
だからタレントの児島玲子ちゃんと会ってみたい。ご存じの方も多いと思うけど、児島玲子ちゃんは釣り関係の番組や雑誌で活躍しているとってもチャーミングな女性。同じ名前の人が、あんなかわいい人だとなぜかうれしいものですね。会って、「コジマレイコという名前で生きるということ」についての感想を聞きたい。
フィギュアスケートの浅田真央ちゃん。
もともと大鵬とかマラドーナとかイチローとか天才型のアスリートを見るのが好きなんですが、今は真央ちゃんですね。あれだけの演技を(一見)軽々とこなす真央ちゃんの“筋肉”をじかに見てみたいです。
今上天皇
理由
父、昭和天皇の行いを謝罪して回ってこられたこれまでの生活をどのように感じておられるか?やり残したと考えられていることは?から始まって伺いたいことはたくさんある。美智子妃殿下のこと、長男・浩宮、次男・秋篠宮のこと、それぞれの伴侶についても。
天皇制そのものについてもお考えをお聞きしたい。とびきり優秀な女性が、天皇家に入ると2代続けて心を病むということを、どのように受け止めておられるかもお聞きしたい。明治から始まった現在の制度が、これから先どのように変貌していけばいいと考えておられるかは、ぜひ伺いたい。こちらがどうしたらいいか分からないときは、当事者がどう考えているか聞くのが一番だと思うので。最後の質問は「いま、会ってみたい人は誰ですか?その理由は」にしようと思う。
タイムマシーンに乗っていければ、会いたいヒトは、アレクセイ・ブロドビッチ(Alexey Brodovitch 1898-1971)。 Harpars BAZAAR のアートディレクターで有名だけど。彼のデザインラボラトリーというセミナーを受けてみたい。 僕は写真家でないけど、彼のその教室から、アービング・ペン、リチャード・アベドン、アート・ケーン、ブルース・デビッドソンといった写真家を輩出しているので有名。 いったいどんな授業だったのか。どうやらかなりの飲んべえらしいから、授業のあと一緒に飲んで、いっぱい絡んでいろいろ聞きだしたい。 アシスタントで使ってくれないかな?よく働くと思うんだけど。
原田知世さんです。
女性に興味がある。男ならだれしもあるように僕にもある。最近では、胸やお尻や両脚のあいだの器官については、最近さっぱり興味が減退しており、おそらくは年齢、体調のせいだと思われるもののそれはそれで日常生活に支障がないどころか快適に過ごすことができるので、肉への欲望なきままに我が身を放置しているのでありますが、にしても、女性という存在についての興味は減退しない。しないどころか、肉への興味が消滅し、存在そのものへの興味があぶり出し的に浮上してきてきた。知的な興味ということができるでしょう。原田知世に興味があったなどこれまでには自
分自身予想もついていなかった。
女性ってナンなんでしょう。これは男性から見るとぜんぜん理解不能なまったく別種の存在であります。60年生きてきて年ごとに違和感を強め、しかしおなじ人類としての共感くらいあるだろうみたいな希望的観測でもってときに濃密に接触してまいったのでありますが、この年になってきっぱりと思います、共感くらいあるだろうという観測は間違いでした。理解不能な存在、共感すると裏切られる存在、女性を理解するくらいならずっと、カマキリやキリギリスの生き方のほうが男性には、僕には、わかりやすい。
バイファー、ノーコンパリスン、であります。
で。来月60歳になろうとするときに思いますことは、こんなにもそばにいてそれでいて永遠的にミステリリアスだった存在についてじっくり考えてみたい。象の生態などはどうでもよいが、女性はそうはいかない。おなじ屋根の下にも一人おりまして、えんえん、学生結婚ですからもう40年もいっしょに過ごしている。一女さえ妻とのあいだにもうけており、身近も身近、妻、娘は分身といってもいいくらいの存在です。もっとも身近なところに最大の謎があったというわけなのです。
アフリカの象のことは謎のまま放置しておいてなんらの痛痒を感じない。しかし女性はそうはいかぬ。ここらでしっかり考え、もって人生を締めくくりたい。そこまで考えが進んだとき、ぼあっと、ハラダトモヨという名前が脳裏に浮かび上がったというわけです。あの人って、なんなの? 原田知世こそは女性の謎をすべて一身にもっている。とりたてて美人ではない。胸や尻が張り出し、本能に訴える性的な魅力で人の注目をつなぎとめているのではない。胸や尻は薄そうだ。叶姉妹ならどれほどわかりやすいでしょう。演技力、つまり(だれもが理解できる)技術でもって支持
されているのではない。子供を大量に産みそうもない。家事にたけていそうでもない。なあんにもしないで、ただそこにいて、いるだけで人々に(男性にも)快感を与える。これぞ僕にとっては女性そのものなのであります。謎だらけ。ほぼ100パーセント女性性だけで構成された存在、それは僕にとっての原田知世です。
会いたいというとちょっとニュアンスが違います。女性とは何かという命題を原田知世を例に考察したい。まあそのためには会わんといかん。というわけで、還暦の5月に会いたいのは、原田知世さんです。
宮本浩次(エレファントカシマシ)
自分のことを「歌係」とインタビューで答えてたのを読んで、なるほどなーと感じていたのですが、先日ライブを見てそれが確信へと変わりました。歌を歌うために生きている方、ステージの上の宮本氏は光源のように眩しかったです。
蔵書数千冊という噂の宮本図書館にお邪魔してみたいです。
「ダルビッシュ有投手」
つい最近まで同じマンションの同じフロアだったのですが(面識はなし)奥様とといっしょに引っ越していかれたようです。ダルビッシュ家のトイプードルに何度か廊下でじゃれつかれて、そのおりに礼儀正しく「スミマセン」と言ってくれたことがすごく好印象でした。
ぼくは実は日本ハムファイターズ・ファン歴30有余年のニンゲンで札幌まで日本シリーズの応援に行ったくらいなのですが、さすがにこんなプライベートな場所で見ず知らずの人間に「ファンです!」とか突然言われたら、ダルビッシュさんも嫌だろうなあと思い、グッとガマンしてました(笑)。だからぜひもう一度、仕事(か何か)でお目にかかれて、「あのときお宅の愛犬にじゃれつかれた者ですが、熱狂的日ハムファンなんです!!」とよくわからない告白(?)をしたいなー、とひそかに考えております。
安土城を築いた頃の織田信長。
会う、なんて怖ろしいけど顔をとにかく見てみたい。顔見たらどんな人かわかるやろうから。別にどんな人かわかったからどうするということは全然ないねんけど、純粋に顔が見たい。
最悪静止画でもオッケイです。ほんで、その時ついでにどさくさに紛れて秀吉と家康にも会っときたいな。せっかくやから。え? 一人だけ?
昭和が終わりかけていたころの晩秋、冷たい雨がそぼ降るなか、ほんの一瞬目をはなしたすきに見失ってしまった女性がひとりいます。探そうとすればあんがい簡単に見つけることができたかもしれませんが、探そうとしないまま20 年が過ぎてしまいました。 ぼくたちはこれまでどれだけの人間を視界のなかから見失い、どれだけの数の手荷物をどこかに置き忘れ、どれだけのことを誰かに言い忘れたままで過ごしてきたことか。
うーん、難しいねえ。会ってみたいけど、会うのはちょっと恐いなあ。思い切って告白すると、女優の尾崎奈々に会いたい! 和歌山の山深い田舎の中学生だった頃、毎週楽しみにしていたTV 番組が「娘たちはいま」。TBS の番組で、調べてみて分かったんだけど、1967 年放送のナショナル劇場だったんだなあ。 曽野綾子原作で、井手俊郎脚本。吉永小百合がTV 初出演(子役時代を除いて)という謳い文句でスタートした番組だったんですね。出演者は、吉永のほかに八千草薫、野添ひとみ、石坂浩二。娘の一人が尾崎奈々さまで、毎週ブラウン管に抱きつくようにして見つめていたのだった。 もう、ほとんど恋していた、といってもいいかもしれない。小生、当時15 歳。尾崎奈々さまは19 歳。なんと可憐な女性がこの世の中にいるものなのか、と恋焦がれ、満たされぬ思いを、野球のボールにぶつけるしかなかった中学生時代。彼女との出会いが、その後のわたくしの女性観の大きな部分を形作ったといっても過言ではないと思います。 憧れた女性でいうともう一人、ティナ・ラッツという人がいて、この二人がいる東京に何が何でも自分は行かねばならぬ、と決心したんだから。それで、大学は東京に出てきたんだから。 しかし、会いたい、といってもねえ、あの可憐だった奈々さまも、今年60 歳ですわ。還暦。 時の流れるのはなんと速いことか。往時茫茫。でも、学校で使っていた定規に、コンパスの針で「奈々」と刻んだ日のことは昨日のように覚えているんだよね。
Jameas Jamerson(ジェームス・ジェマーソン)
言わずと知れた(?)SOUL MUSIC 界の重鎮ベーシストその素晴らしいベースプレイはMOTOWN の数多くの音源で堪能できるのだが、 実は彼が弾いたとされる音源の一部は、当時LA でセッションベーシストであったCAROL KAYE(キャロル・ケイ)という白人女性が弾いていた!という噂が実しやかに囁かれているのであります。というか、それは事実らしいのだが、現在はジェームスが他界しているため、彼側からの真実は語られることはない。キャロルからの一方的な自己申告のみ!
であるからして、ともすると実際はジェームスが弾いている筈の曲のベースも、「本当はキャロルが弾いているのでは?」という事にもなりかねない。
しかも杜撰な管理のためなのか、当時のスタジオ
ミュージシャンがナメられていたのか、それを証明する書類なりなんなりも残っていないため、真実は闇に葬り去られたままなのでありますね。
で、この際ジェームスに会って、この噂に決着をつけ
たいと、そう思っている次第なのであります。
生前、会っておきたかったのが、中国文学者の「竹内好」。
いかなる時代の風潮にも、いっさい考えが変わることがなかった、日本でも珍しい知識人の一人。因みに、私の大学の卒論は「竹内好と魯迅」です。
講演会に行こうと思っていて、何かの用事で行けなかったのが、いまだに悔やまれる。
平賀源内、元祖コピーライター。
「土用の丑」「漱石膏」等の引札ヒット・キャンペーンで有名だが、一名挙げるというQ 趣旨が難しい。はずせば、真言密教を広めた邦国最高の知である空海は私見で始祖コピーライター。ぜひ長安で会いたい。オリジナル禅語創造の千利休や、短詩型双頂の蕪村、芭蕉も。
TBS のNEWS23 のキャスター・膳場貴子さん。
タレント化・アイドル化した女子アナ世界の中で、今やTBS 夜の顔となった彼女の、アンカーとしての絶対的安定感は、NHK時代をも越えております、です。しかし会って何か話せるほどのネタは持ってない…。そんなパンピー(懐かしい!)な自分が、膳場さんに会うためにはニュースで取り上げてもらうのが一番の近道だ!「なんかいいこと、するぞーぉ!」「なんだか、いいことがしたくなった!」。けど…いったい、いいことって何だ!?
目の前にイタコがいたら、迷わず亡父に会わせてくれと言うでしょう。 しかし、もし「誰か一人に会いに行ける権」を行使できるとしたら、ブッシュに会いに行ったらいいんじゃないでしょうか。みんな一人ずつ。ブッシュは拒否できないの。
僕には叶わなかった夢がありました。
それは、少し形を変えていつしか僕の夢になりました。それはきちんと努力すれば、いつか未来に叶うはずの夢です。
生死を問わず、会いたい人?やはり祖父です。両親が僕が生まれた頃にはとっくに父を亡くしていたので、結果僕は祖父の事を知りません。写真も見た事がありません。ある日の街角で見たのか、雑誌やTVの中で観たのか、頭の中で想像したのか???小学生の頃から、僕には絵で食べるという夢以外に、具体的にいつも夢見る事がありました。商店街の角の喫茶店のウインドウに並ぶ、大きなパフェやプリンアラモード(小学生の頃から、レトロ好きで浮かんだ絵が古く、メニューも古いんです)、その前にじいさんになった僕は、自転車の後ろに孫を乗せています。
「おじいちゃん、あれたべたい~」
「む~、たしかにな、、おいしそうだ」
「ぼく ぷりんがいちばんすきなんだよ ぷりん」
「わしもすきだぞ ぷりん じゃあ、かえってちゃんとごはんたべるな、それと、おとうさんとおかあさんにはないしょだからな。これは、おとこどうしのやくそくだぞ!(これが一番いいたい)」
といいながら、二人で喫茶店で寄り道し、甘いものを食べる夢。とまあ、しょっちゅうこういう事をいいながら、孫を甘やかす、いや、友情を深める訳です。中学生になった孫には好きな子の相談をされたりして、こうなると妄想。そんな夢も、社会に出て働きはじめた頃には、忙しさの中に忘れていましたが、とある日曜の夕方久々につけたTVに、まさに僕の理想の姿が、、、。それは、ちびまる子ちゃんと友蔵(おじいちゃん)の姿。素敵すぎです。孫は、男の子でも女の子でもいいなあ、と最近は思いますが、その前に、味のあるじいさんになる事をがんばります。会いたい人は、今や祖父ではなく、祖父になった自分に付き合ってくれる孫に変わっていました。
「キミは、アタシが考える最もサイテーな男になり下がったわね」と面と向かって言い放った女。あれは、新宿の喫茶店。「なり下がった」という言葉が、浪人の私にはズキンときたっけ。「キミは決断力はあるけど、判断力がないのよねえ」と、ため息まじりに本質的なことを言ってくれた女でもあったなあ・・。1969年、19歳の夏。甲子園球場では、三沢高校の太田幸治が、松山高校との決勝戦で18回を投げきり、引き分け再試合!というニュースが新宿の街を駆けめぐっていたなあ・・・。人類が初めて月に着陸したというのに、どこにも着地できない青春であったなあ・・・・。彼女も、もう57だよなあ・・・・・。
やはり愛人ですかネェ。身勝手な話なんですけど。銀座のクラブや六本木のキャバクラで逢ってもチョットネ。
昔、クリネタ編集団の北川氏と男2人で海外ツアーに行って、それもわざと女性たちの多いツアー。ベトナムとかミラノとか(あざといですネ)。フト知り逢って、旅行の間だけで♡♡。もしダメな場合は男2人で暗くお買い物で残念、なんて計画したけれど、これも計画倒れ。フト逢ってパッと散る。そんな愛人なんかいないですよネ。まぁきっと偶然とか突然を渇望しているのでしょう。“愛の狩人”の割には楽々したいとか。これじゃきっとアカンでしょ。
でもホントのところは、金子光晴さんですネ。昔、会ったことあるんですけど20代の頃。吉祥寺の家へお伺いして、まだ金子さんがどんな人かも分らずに。オシャレでしたネェ。戦前のマレーシアで買ったとか取っ手の所が小さなワニの頭のステッキ待って。板の間に畳一帖か二帖敷いて、そこにチョコンと座っていらっしゃって懐から春画を見せていただいたり。80歳の頃ですョ。色気プンプンでしたネェ。ガキの僕を玄関まで送っていただいたりして。又、色々またお話伺えたら嬉しいですけど・・・。
まずは、失踪した同級生と同じく失踪したらいい会社員時代の恩人。でも一名だけとなると、70年代後半以降私淑した哲学者・森有正か……。場所はパリ郊外、アンギャンのレストラン「金鯉亭(カルプ・ドール)」あたり。ここで先生は体調をわるくされたので、たぶんお嫌でしょうけどね。座られた席まで知っとります。私の場合、大変ありがたいことに、職業柄、会いたい人には結構会ってしまっているんです。しかし年散ると、どうも物故者にばかり目がいきがち。ここはやはり、妻を狂わせる男、ペ・ヨンジュンか!?(ここだけ文字級数デカくするの厳禁!!でもSTUDIO GIVEのことだから、きっとやるに違いない)
ジャズ・ベーシストのジャコ・パストリアス(1951年12月1日~1987年9月21日)でしょうか。‘83年5月に自身のバンドで来日した際、当時、雑誌の音楽担当という立場を利用して、彼が滞在していたホテル・ニューオータニで昼食を共にしながら、短いインタビューする機会を得ました。‘76年に出した「ジャコ・パストリアスの肖像」というアルバムを聴いて以来、ずっと気になる存在でした。事前にプロモーターからは、彼の奇行や躁鬱状態などの“注意&警告”がありましたが、そんなこともなく、とにかく楽しい時間を過ごすことができました。その夜のコンサートもとても素晴らしいパフォーマンスでしたが、その数年後、彼の不幸な事故死を知り、何とも言えない寂しい気持ちになりました。いまでも自宅では彼のCDをよく聴きますが、もう一度あの人なつこい笑顔と、鬼気迫る演奏の場に身を置きたいですね。

































































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